ホンジツ日和

カメラで遊ぶ毎日を、ミニエッセイでお話します。

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鳥待ち鳥

コッコー。ポッポー。ピピピ。朝からいろんな声が上空から舞い降りる。

ここは都心の住宅地。

小鳥たちを呼び寄せるための粟が盛られていたのは、いつの日のことか。

鉄でできた本体の身長が足らず、どうも本物の鳥たちからは、

その存在を知られていないみたい。

今日も鳥を待つ。

5月の風が、モッコウバラの葉を揺らし、

動かない、その喉をくすぐって騒ぐ。

 

かなた、芭蕉より。

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落柿舎の土間には、一輪の花

冬の初めに京都に出かけた。時間があると京都に行くので、もう何度目かわかならない。

今回は、嵯峨野に足を伸ばして、さらに、竹林を越え、線路を越えて二尊院のあたりまでやってきた。

 嵯峨野もこの辺りまで来ると、ほのぼのと田舎の感じがしてくる。目の前は、田んぼでこの伸びやかな景色が割と好き。

いつもはスルーしてしまう落柿舎を覗いてみた。

 ここは、松尾芭蕉が訪れた場所らしい。弟子の住居だったのですね。鄙びた、住まいは質素でいて居心地がよさそう。小さな庭には柿と紫式部が咲いていた。

縁側で、どうぞ一句の看板。娘は座って一句を捻り出し、私はパチリ。青く高い冬の空を撮った。

不思議な森

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山中温泉の渓谷で。苔むして倒れていた。

 2月という寒い最中に、石川の山中温泉に出かけた。初めての土地で見るものがすべて新しかった。到着したのが16:00近く。真冬であり、もう日の光も弱くなる時間帯だった。

 誰でもある癖かもしれないが、そこに泊まるとなると一目、周りの風景というのを頭に入れておきたい。それだけで宿で過ごす時間が豊かになるような気がする。そんなわけで駆け足で巡った、周辺観光。まずは宿の裏の渓谷へ。

 あやとりの線形を模したあやとり橋を渡って、深い渓谷へ。高い山々に囲まれた谷に、光は三角形に入ってくる。少ない光の中でか、川の水も輝いている。脇道の散歩道には、時折、倒れた木々が横たわっていた。

 艶やかな緑の苔。ビロードの宝物のように覆っている。日暮れ間近の光のせいか、まるで泣きそうに見えた。

見られるつもりのないデザインたち。

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銀座の路地裏でよく見かける壁面デザイン

どういう事情か、隣の建物がなくなってしまって、思わず顔を出した壁面配管たち。人に見せる予定ではないから、実用一点張りで管たちが並んでいる。

そこに、なんとも言えない面白さを感じてしまうのは、私だけではないはず。機械の内蔵をみたような思いと共に、用の美みたいな職人気質を感じてしまう。

徹頭徹尾、使い勝手にこだわって壁面を這いつくばった管たちのつくる幾何学模様は、恥ずかしそうでもあり、誇らしげでもあるのだ。

草まかせ。

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5月の庭は、草たちがもりもり。

  テラコッタの鉢に、溢れかえっているのは、うちにやってきて1年ほど経った「雪の下」。種類によるのかもしれないが、うちにやってきた雪の下は、グリーンの諧調が多彩で面白い。深い緑から、浅い黄緑まであるほか、のびたツルはワインレッド。5月になれば、そこから白い鈴のような花が咲く。下植えの「草」を植えたつもりが、思いのほか華やかな存在感になった。

失敗も味のうち

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木の根。

例によってライカⅡfで撮った写真。今回は、こういうボケ写真が大半を占めていた。

けれど、なんだかこれはこれでよいような。理想はもっと、力強く根を張った木の根の表現にしたかったけれど、このやんわり感も捨てがたいのではないかしら。

 渋とく、Lightroomを使って、なんとかクッキリする限界までやってみた。

こんなところが限界です。

よくわかならないけれど、優しい感じがするところが気に入っている。